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(有)建築研究室 DIG and PILE (DAP)
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 琉球弧からヤポネシアの建築家へ (1)


真喜志 好一

民族のたどった歴史は、その民族の集団的人格に影響しそうなものだが、1609年の薩摩の琉球侵略(慶長の役)、日本国による廃藩置県、沖縄戦、米軍支配、日本復帰と大揺れに揺れた沖縄では、今日でもヤマトにだまされてしまうお人好しがいるかと思うと、お上の方針ととことん張り合う人も多く、猜疑心が強いとか、悲観的だとか、あるいは追従的だとくくることもできない。大方は、あけっぴろげで楽天的である。
その沖縄で仕事をしていく場合、個人のアイデンティティーが問われるだけでなく、「あなたにとって沖縄とは?」と民族のレベルのアイデンティティーも求められ、ヤマトとは違う沖縄らしい建築をと期待される。
亜熱帯という気候上の違いが求められている答えでもなく、沖縄の内側だけからこの問いが発されるだけでもない。ヤマトからも同じ問いが沖縄に向けられる。

長年、奄美大島に住み、先年亡くなった小説家・島尾敏雄は、固い画一性があるような、みんな一色に塗りつぶされてしまう、そういうイメージの日本とは違ったもう一つの日本を表す「ヤポネシア」を造語し、また奄美、沖縄、宮古、八重山などの島々の文化圏を語る言葉として使い始めた人でもある。
「琉球弧」という概念は、例えば「琉球弧の住民運動」等のようにこれまでの鹿児島、沖縄という行政区割りを越えた人々のつながりも生み出している。その琉球弧の中でも島々はそれぞれのミクロコスモスを持っていることはいうまでもない。
ヤマトとは異なった歴史を生き、異なった文化を背負っている「琉球弧」を支える場の特性を見つけることは内外からのその問いへの回答を見つけることでもあろう。
回答を先に書いておこう。
「琉球弧」の文化はサンゴ礁に支えられた縄文的な文化であり、従って空港建設のための埋め立て、ゴルフ場を始めとする陸上の乱開発によってサンゴ礁を死滅させることは、即沖縄のアイデンティティーの死滅につながるということである。
18年前にUターンして以来、イメージで歴史をさかのぼり、考古学者の発掘現場を覗いたり、説話が伝わる土地を歩き、白保のサンゴ礁をトランジットで測量する中で私が得ている結論である。以後、私が住んでいる沖縄島に限定した話は沖縄と記すことにする。

黒潮が隔てる琉球弧とヤマト

現在残されている建造物や、その周辺の点景に沖縄らしさを求めても、沖縄の固有の造形に行きつくのは難しい。木造建造物の工法は大工道具呼び名からも明らかなように近世になってヤマトから学習し、沖縄の太陽に合わせて影を深くし、骨太の構造に作り替えたものだろう。また沖縄の代表のような顔をして屋根に鎮座し、最近では建物の玄関口にいる獅子は遠くエジプトあたりからシルクロードを経て沖縄の地にもたらされたものであることは疑いがない。
中国南部系移民が活躍している東南アジアのほとんどの都市でも作られているように、あの亀甲墓の形も中国から300年ほど前に受け入れ、一族が一つの墓に眠る沖縄の葬制に合わせて墓室を広げたものにちがいない。
いくつもの文化が積み重なり、交流があった地域もかな

りの広がりを持っているようだ。例えば八重山の歌謡の音階はガムランの竹の楽器ジェゴクの音階にきれいに乗るし、バリ島とのつながりを想像させる。
サンゴ礁の遠浅のラグーンを馬蹄形に石垣で囲い込み、干潮時に囲いの中に取り残された魚を収穫する「魚垣」(石垣島白保では単にカチと呼んだらしい)は沖縄国際大学多辺田政弘教授によれば遠くポリネシア、九州有明海まで共通の漁法だという(『コモンズの経済学』学陽書房)。
沖縄では豚を「ウヮー」という。南太平洋タヒチのモレア島で豚を「プウヮー」とよんでいることを琉球大学米須興文教授は紀行文に記し、6000kmも離れたポリネシアと沖縄との関係を暗示している(『レダの末裔』ひるぎ社1986年)。遠い昔、豚を伴い小舟に乗って魚を追い、海を行き来した、歌と踊りが好きな民族の移住や混血があったのだろうか。
このように太平洋の島々と古い交流がイメージされるかたわら、ヤマト=本土と琉球弧の差異は、どうやら考古学的時間をさかのぼるらしい。

考古学者嵩元政秀は以下のように述べる。
「洪積世の終わり頃、今から3万2000年前の遺跡、山下町第一洞穴(那覇市山下町)から、女の子の骨と一緒に多数のシカの骨や角が出土しました。その中には角や骨でできた『骨角器』と呼ぶ道具も見られます。また具志頭村の港川遺跡から(出土した人骨)は、〜中略〜 放射性炭素による年代測定を行ったところ今から1万8000年前という古い時代の人骨でした。鹿児島以北の各地にある無土器時代の打製石器は、今のところ沖縄では発見されていません。沖縄旧石器時代の文化は「骨角文化」と呼ばれ、本土の旧石器文化と異なる文化領域を形成しています」(『沖縄資料集成』、P82、1975年)、柳田國男が描いたロマン、『海上の道』は必ずしも連続ではなかったにちがいない。
ここで黒潮の流れをみよう。海上保安庁の海流図によれば琉球弧と台湾、琉球弧と屋久島との間を時速4km前後の黒潮本流がへだてている。
この潮流を横切るには安定した季節風を待たなければ琉球弧の最寄りの島から台湾、屋久島に流れなかったのではないか。それが人の行き来を困難にし、異なる文化領域を形成した大きな要因だろう。

<つづく>


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