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家族の絆と安心の家。

2011年ももうすぐ終わりを告げます。

毎年、今年一年の世相を漢字一文字で表す「今年の漢字」。東日本大震災があった今年は、地震や津波から「震」や「災」「波」などのほか、原子力発電所の事故から「電」や「原」「炉」などが予想に上がっているようです。さまざまな場面で感じることの多かった人と人の繋がりや、多くの人の温かい気持ちが伝わる「絆」、家や家族の大事さを感じることが多かったことから「家」なども選ばれてほしいと思うところです。

残念ながら津波で多くの家が流され、原発事故により住み慣れた場所を離れなければならなくなった多くの人たちがいます。居場所を失った大きな喪失感と不安感、もしかすると心に空虚感も抱きながら現在居る場所での生活を営んでいるのかもしれません。
改めて「安心して住める」ことの大切さを感じた年でもありました。

私が住まいに求めることは住んで居心地がよく、自然に家族の絆が強くなっていくことです。家の構造が家族同士の接点を阻害せず、日常のコミュニケーションを積み重ねられる住まい。言葉にすることができなくとも、空間が気持ちを助けてくれる住まいです。

住まいに限らず、空間は人の行動を制限する一方で、そこに見合った振る舞いを促す性質があるといいます。作家の幸田露伴は「安芸の宮島の広々とした舞台を歩くとき、人は背筋を真直ぐに伸ばし、精神を高揚させ大らかに歩く。しかし三畳の茶屋では身をかがめて、ちまちまと歩く」と書いていました。
空間が人の行動や心理状態に影響を与えていることが読み取れます。生活の場である住まいでの行いは習慣化されるため、家族を形づくるのにも影響することがおのずとわかります。

住み慣れた場所を離れた人々にとっては、十分でない住環境で日々を送っている人も多いことでしょう。気持ちを切り替え新しい場所で新しい生活を切り開いている人もいることでしょう。
明るく癒してくれる空間や家族の絆を深められる居場所で、安心感を持って暮らすことができる日々が早くやってくることを、新しい年に希望したいものです。


※毎月第2週目の「週刊タイムス住宅新聞」に掲載されています。(2011.12.19 ka)

 

キジムナーの教え。

八重山地域には、山から材木を運んで家づくりの手伝いをする小童についての説話やそれにかかわる建築儀礼があるといいます。沖縄本島のキジムナーにも家づくりを手伝う説話があるので、二つは類似の存在で木の精霊を表していることが明らかなようです(『シマの見る夢』赤嶺政信著を参考)。

今でこそかわいらしいキャラクターのキジムナーですが、私が子供のころ「眠っている間にキジムナーに噛まれた」とか「キジムナーのせいで動こうとしても動けなかった」という話が子供の間でよくされたものです。

どれも眠っている間の金縛り状態を「キジムナーのせい」とするものですが、それぞれがキジムナーのせいにする理由は「公園のガジュマルの枝を折った」とか「木を傷つけたから」というものでした。

そんなことから公園の木にはきっとキジムナーが住んでいて、その住処に悪さをすると仕返しにやってくるものと信じられていました。ふだん大人たちから聞かされる「悪いことをすると、寝てる間にキジムナーにいたずらされるよ!」という言葉も、より真実味があったように思います。きっとその頃、キジムナーは子供にとって今よりも怖い存在で、何よりも公園の木は大切にしようという意識がありました。

本島南部で育った知人は、毎晩のようにキジムナーがやってきた時期があったといいます。
「遊ぼう、遊ぼう」と部屋の中を駆け回るので、しばらくの間は一緒に遊んだそうですが、ある日「お前と遊ぶと昼間学校で眠ってしまうから、もう来るな」と言い、以来姿を見なかったそうです。
キジムナーは、木を運んでくれたり、一緒に海へ行くと大漁だったり、豊かさをもたらす面があります。しかし付き合いが辛くなった人間は、ある日自分の都合で縁を切ってしまい、後日報復に合うという説話がいくつもありますが、その知人がどうなったかはわかりません。

地鎮祭や棟上式などの建築儀礼は、建築用材の霊を鎮めるために行われるようになったという説があります。自然はときに想像もつかない恐ろしい面もあり、自然を自分たちの側へ引き入れようとする人間との間のコミュニケーションのための儀式として伝わってきたのかもしれないと考えられています。

かわいらしいキジムナーからは、怖さや恐ろしさはまったく感じなくなりました。だからといって、自然を軽視したり恐ろしさを忘れてはいけないと思い知る今年であったように思います。


※毎月第2週目の「週刊タイムス住宅新聞」に掲載されています。(2011.12.19 ka)

 

次へつなぐこと。

8月15日から28日までに南風原町立中央公民館で開催された「沖縄の原風景との対話 建築家金城信吉の世界」展を県建築士会島尻支部の皆さんと共催させていただきました。
準備期間中は、金城信吉氏とゆかりのある方々のお話を聞き、建物を訪ね、氏が遺した「沖縄原空間との対話」を読み返し、氏の思いをたどりました。

その中で訪れた本部小学校。昭和53年に氏が設計した校舎は築三十年余りが経過して、趣のある場所になっていました。
周辺の緑の環境と重なるように学校内で大きく育った木々と、同じように年を経た校舎は、初めて訪れたのに懐かしい印象です。

「学校建築は単なる教育、学習の場として考えるのではなく
施設、環境のあり方によって人々の間の交流を深め豊かな気持ちを育てる場でなければいけないと 私は常に考えている。そのことは、学習そのものの新たな展開をうながす要素にもなり得ると 信ずるからである」(「沖縄原空間との対話」より)。

計画が進んでいた当時、学校統合の問題もありこの学校建築には本部町の皆さんが大きな期待と関心を寄せていたそうです。
戦後の貧しさを抜けて、豊かな人間を育てるための学校建築にしたい。子供たちだけでなく先生方やPTAの皆さんにとっても「ワッター学校」という意識で愛情を持てる学校にしたいという思いがこめられたのです。

「この建築が完成した時、内部空間、外部空間とも変化のある豊かな空間に子供たちは出合うはずである。その時、子供たちは『ワッター学校』を意識するだろう。
しかし、学校建築で最も大事なことは外部の環境づくりである。すでに植樹祭が行われ運動場周辺に桜の木が植樹された。そして運動場の一角に数本の大木が芽を出している。学校づくりは建築家だけの仕事であってはいけないのである。子供たち自身の参加によって学校建築が完成することを児童生徒に意識させてこそ建築の意味があると思う。10年後、20年後の緑の学園が目に見えるようである」(「沖縄原空間との対話」より)。

「緑の学園が目に見えるようである」と氏が語り、そのように成長した学校では 、現在すでに新校舎計画が進んでいて現校舎は取り壊しが決まっているのだそうです。
学校の校舎が新しくなると、その学校を卒業した者であっても、なんだか自分の学校のようで自分の学校ではない感覚に陥り、愛着ある場所であったはずのところに距離さえ感じてしまいます。
老朽化や経済の流れなど理由はいろいろだと思いますが、計画当時の様子から、ここで学んだ人だけでなく当時を知る町の人たちにとっても愛情深い場所であり、やっと親子で同じ校舎で学んだ記憶を共有できる時間が経過したところで、新しくなるというところに少しの寂しさも感じてしまうのでした。

今回の展示会の会場となった南風原町立中央公民館も築33年。年内で取り壊されることが決まっています。年間10万人以上の利用があり、かつては町の人たちの結婚式も行われていた場所だそうです。たくさんの人のいろいろな思い出の中に、この建物はあるのかもしれません。

開催中は本当に多くの方々にご来場いただきました。日ごろは公民館のサークル活動に参加する利用者も多く、それぞれの思いを聞くこともできました。
「この建物には色気があって好きなんです。無くなると聞いて少しでも長くこの建物に関わっていたいと思いました」 そう話してくれた女性の姿もありました。
設計・施工に携わった人々の技術や思い、利用した人たちが積み重ねた多くの思い、語ることのない建物が伝えてくれる多くのことを、次へつなげる知恵や工夫を期待したいものです。


※毎月第2週目の「週刊タイムス住宅新聞」に掲載されています。(2011.11.04 ka)

 

家づくりとネット。

「おきなわ建築Web」が、この今月1日に開設10周年を迎えました。

何億とあるホームページに加えてブログやツィッター、最近ではフェイスブックなど、パソコンに限らず携帯電話からもつながるインターネットは、とても身近なものになりました。
急速に移り変わるインターネット世界の中で、10年続いていることはいつも応援していただいている皆さんのおかげです。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

この10年、暮らしの中でのインターネットの存在感は大きく変わりましたが、家づくりにおいての存在感も大きくなりました。
開設準備をしていたころ、沖縄でのインターネット普及率は会社や学校を含めた全世帯の1割くらい。
おきなわ建築Web開設の説明をさせていただくために訪れた設計事務所や建設会社などでは、インターネットの接続だけでなく、パソコン自体を敬遠している人も多かったのですが、次第にメールのやり取りが問題なく行われるようになり、今やケータイでブログの更新をしたり、ツィッターで日々つぶやいている人も多く見られるなど、当時の様子がはるか大昔のことのように思えてきます。

ここ数年でインターネットは単に情報を見たり探したりするだけでなく、個人と個人をつなぐコミュニケーションツールとしての役割も定着してきました。広告業界のコミュニケーションデザインの専門家によれば、インターネットのそうした役割は、ますます広がると予測しています。何かを買ったり決めたりするときに、インターネットを使って、集めた情報をほかと比べたり、いろいろな人の評判を聞くことが簡単にできることも、人々の消費行動に大きな変化を及ぼしたともいわれています。

家づくりにおいても、依頼先探しや材料・設備の調達など上手に使っている人が増えました。しかし、どんなに便利に発展しても、インターネットの上だけに頼らず、家づくりにおいてはインターネットはあくまでも「ツール(道具)」としての活用であってほしいと思っています。
遠く離れた場所でもコミュニケーションできる利点を生かしながら、直に会って互いの持つ空気を確かめ、現実の居場所をつくる。家族のあたたかい居場所づくりのための便利なツールとしての活用であってほしいと思っています。


※毎月第2週目の「週刊タイムス住宅新聞」に掲載されています。(2011.07.12 ka)

 

台風のあとに。

「台風大丈夫でしたか?」
先日の台風2号が過ぎたあと、潮のこびりついた玄関ドアを水洗いしながら共用廊下を掃除していると、背後から声をかけられました。

「初めての台風だったので、すごくびっくりしました。あんなに風が強いなんて。
アルミサッシがガタガタしてたので、いつか壊れるんじゃないかと心配で。なんで沖縄の家には雨戸ついてないんですかね?つけてもらったほうがいいんじゃないかしら?木も折れちゃってたし、枝とか飛んできたら危ないですよね」

そういえば、いつから雨戸を見なくなったんだっけ?

声をかけてきたのはお隣に住む奥さま。本土から越してきて初めて経験した台風に肝を冷やした様子。
30世帯が住む集合住宅に居ながらも、住人同士は顔を合わせたときの軽いあいさつ程度。初の立ち話の機会を台風が作ってくれ、やっとお隣がどんな方たちなのかを知ることができました。

中部に住む80代の伯母は一人暮らし。
「台風怖かったねぇ。家が古いから屋根が飛んでいくんじゃないか心配だったさぁ。うちのサッシ、ゆがんでてちゃんと閉まらなくてね、風に持っていかれたらどうしようかって心配で心配で。久しぶりに停電もしたし、もっと長く(台風が)居たらもっと大変だったはずね。早く行ってしまってよかったさぁ」。
いつもチューバーな伯母ですが、今回は堪えたようで、以来、一人で寝るのが怖くなったと話します。

外を車で走ると、木々の緑の大部分が茶色に変色し、まるで秋から冬へ向かう景色のようです。
枝や葉を落としたもの、幹の途中から折れたもの、根こそぎ倒れてしまったもの。自然の凄まじさをまざまざと見せつけられています。そんな中にも、細いながらも折れたり曲がったりせず、枝や葉を落とした様子もなく元気な木々もあり、何が違うんだろう?と思ったり。ほとんど葉を落としてしまったホウオウボクの木々の中で、少しだけ赤い花を咲かせている木を発見して思わず声を上げてみたり。

「今年は台風の当たり年になるかもね」とよく耳にし、そう思えます。
自然の前に人が行う事前の対策は完璧とはいきませんが、なるべく被害の無いように祈りたいものです。


※毎月第2週目の「週刊タイムス住宅新聞」に掲載されています。(2011.06.13 ka)

 

家をつくる職人さんたち。

家を建てる現場では、15〜20種類の専門工事業者が必要です。
工程によって関わる業種が異なり、その仕事もさまざま。家が完成するまでを見ていくと、本当にたくさんの職人さんが働いている様子がわかります。

「この家、とっても涼しいよ。風がすごく抜けていくからね」。
以前、ある新築工事中の現場を訪れたとき、そこで働く職人さんが、作業の手を止めずに笑いながら話していたことを思い出しました。
その人は、背の高い脚立の一番上に座って天井に向かって顔を上げ、工具を持った手を上に伸ばし、天井に竹を張る作業をやっていました。きつい姿勢ながらも細かく丁寧に仕事を進めていく様子を、しばらくそばで見せていただきました。

工事現場では、もちろんエアコンなんてなく、ほぼ一年中汗をたくさんかきながらの作業。休憩時間には、必然的にいちばん心地いい場所が職人さんたちのゆくいどころになります。
風が抜けて、少しでも涼しく作業できる現場はありがたく、「その建物の心地よさは、仕事をしている職人たちがよく知っているもんだよ」と笑っていたことが印象的でした。

家づくりといえば、まず思い浮かべるのは設計者かもしれませんが、彼らが描いた図面を建物の形にしていくのは、現場で働く多くの職人さんたちです。
多くの場合、一人で複数の現場を掛け持ちしていて、担当する仕事の種類によっては家の完成を見ずにその現場から離れるので、たとえ施主であってもすべての職人さんの顔と名前を知っていることは、あまりありません。 完成した家が新聞に掲載されることがあっても、そこに関わったすべての業種の社名や人の名前が記されることはないので、どれだけキレイに仕上げても表に出ることはないのです。
しかしながら、「左官工事ならあの人、木工事ならあの人」というように、仕事の正確さや美しさなどで高い評価を得ている職人さんたちは沖縄県内にも大勢います。

多くの職人さんたちに「ありがとう」の言葉が直接届けられることと、年に一度でもその仕事ぶりを称える機会ができないものかと日々、思案しています。


※毎月第2週目の「週刊タイムス住宅新聞」に掲載されています。(2011.05.19 ka)



抱きしめて伝える。

平成23年3月11日午後2時46分。それから約1カ月がたちました。
いまだ余震が続く様子や避難所生活をする人々のこと、行方がわからないままの1万5千人以上の方たち、見えないままの原発の被害、そこで命をかけて懸命に働く作業員の方たち。自分にできることは何だろう?と日本中のほとんどの人が考え、いろいろなことを実行しています。

震災直後のニュースで「子どもたちを抱きしめてあげて下さい」と伝えられていたことが印象的です。
子どもたちにとって、目の前の状況を見た時にまず感じるのは、「悲しさ」よりも「驚きと衝撃」。
そんな感情を持つ子どもたちのことを抱きしめることで、大きな安心感を伝えられるのだそうです。
人の肌の温かみを感じさせてあげることや、抱きしめられながら揺すられること、頭をなでられることなどは、小さな子に限らずみんなに心地よく、安心感となっていくのだそうです。

教育評論家の尾木直樹氏の言葉によると、どんなに厳しい状況であっても今置かれている状況を子どもと一緒に感謝することも必要なことなのだそうです。
「命が助かっただけでも良かったね」「ケガもこれで済んで良かったね」。
置かれている状況を子どもと一緒に感謝することで、未来への希望や「負けるもんか」という力につながっていくといいます。
避難所生活をのりきるためにも、元気や希望を持つことがとても大事。子どもたちには大人に守られているだけでなく、自分も役に立っているという実感が必要で、その実感がさらなる勇気や希望、元気へつながっていくのだそうです。

先日、両親を亡くし、家族の行方もわからない一人の少年が、避難所で明るく炊き出しを手伝っている様子を見ました。この少年のように、いまだに家族と会えず不安な日々の中、懸命に生きている子どもたちがどのくらいいることでしょう。日本中、世界中からの温かい支援の輪とともに、この子どもたちのことを抱きしめる温もりもどうか届けられますように。


※毎月第2週目の「週刊タイムス住宅新聞」に掲載されています。(2011.04.09 ka)



湧き水があったころ。

今帰仁村で「湧き水fun倶楽部」主催の講演会に参加しました。
今帰仁村歴史文化センター館長の仲原弘哲氏の「湧き水が暮らしの中にあった頃」というお話を聞き、
実際の湧き水を訪ねて本部町具志堅のフプカーへ。

豊かな水量と澄んだ水に感動して、収穫したばかりのイモを湧き水で洗う女性たちの様子に、
今でも暮らしの中に息づくカーの豊かさを見ることができました。

「カー」は、湧き水や井戸、洞穴泉などの総称です。
今のように各家庭に水道が敷かれる前は、各字ごとに5〜20箇所あるといわれるカーが、暮らしに欠かせない水場となっていました。

仲原氏は講演の冒頭で、
「湧き水を使っていた頃は、水場で近所の人たちが毎日のように顔を合わせていたので、ケンカをしてもすぐに仲直りができました。同じように離島の暮らしも橋がかかるまでは、船乗り場で近所の人たちと必ず顔を合わせるので、やはり仲直りする機会がいくらでもありました。
でも、水道が敷かれて橋がかかると、みんなそれぞれの家の中での暮らし方になり、移動も車でするようになったので近所の人たちと顔を合わせることも少なくなった。ケンカをすると一生仲直りできなくなってしまいました」と話し、便利さが作り出す無縁社会について触れました。

モノに囲まれた便利な生活に慣れた私たちは、毎日水場まで水汲みや洗濯しに行かなければならない昔の暮らしを「不便だったんだなあ」と勝手に想像してしまいますが、今の私たちにはない豊かさを、そこに感じずにはいられません。

暮らしに欠かせない水を通して人々が語り合い、自然とはぐくまれていったコミュニケーション。
水場で形づくられる人間関係も含めて、カーが暮らしの中にある風景だったのだと想像します。

「500年前、300年前という昔と今を行き来できる感性がとても大事です。
当時の暮らしを知ることで、その時代の人の気持ちを知る。
それは遠い国のニュースなど、
遠くの人々の痛みを理解できる感性につながると思うのです」と語る仲原氏。

こんこんと湧き出る清水を見ながら、時を越えた人の豊かさに思いを馳せるのでした。


※毎月第2週目の「週刊タイムス住宅新聞」に掲載されています。(2011.03.14 ka)



スージ小から。

首里の住宅地は細い路地でつながるところも多く、中には人がすれ違うのがやっとという道幅のところもあります。そんな環境で長年暮らしているSさんが、老朽化に伴い家を建て替えることになったときの話です。

Sさんの家が建つのは、南側が細い細い路地に接していて、北側は車一台が通る幅の道路に接しています。南から北に向けて傾斜していて、北側から住宅へ入るには階段を上ります。
築40年ほどの住宅は、家の中から路地の様子がよくわかるものでした。

「近所の人たちの毎日の様子がわかるんだよね。朝は学校へ行く子供たち、お昼近くの同じ時間に散歩するおばちゃん。郵便配達のお兄ちゃん、昔は子供たちが新聞配達していたから、ときどきアメグヮーあげたりしていたさ。うちの子供たちが小さいころ、怒鳴っている声もよく道まで響いて、『もうそのくらいにしておいたら?』って外から声をかけられたこともあるよ。毎日同じ時間に通る人が通らなかったら『風邪でもひいたのかね?』って心配もする。そんなふうに長いこと暮らしてきたからねぇ。家を新しくするにしても、そんなふうに暮らせる家がいいさぁと思ったわけ」。

家の中から路地までの距離が近いので、「プライバシーを守るために目隠しの壁を作りましょう」と設計者からは提案されたそうですが、
「ウチは通る人たちの顔が見たいわけよ。狭い道に向けて壁を作ったら、外を通る人に圧迫感を与えてしまうから申し訳ないさぁ」
と違うプランを求めたのだそう。

洋風のリビングになった1階の室内からは、低い植え込みの向こうに路地の様子を見ることができます。

「最近じゃ近所の人たちも世代交代してね、少しずつ様子も変わってきたけど、地域や人の移り変わりが家の中からも見えるのはいいことだと思うよ。見慣れない人が歩いていたら声をかければいい。そのほうが防犯にもなるさ。みんなでお互いに見守りながら生活ができる幸せよ」。

ゆるやかに地域とつながる生活を笑顔で話すSさん。今でも心に残ります。


※毎月第2週目の「週刊タイムス住宅新聞」に掲載されています。(2011.02.21 ka)

 

つながること。

あけましておめでとうございます。皆さんはどんなお正月を迎えられたでしょうか?

年末から年明けの新聞・テレビなどを見ていると、「絆」や「つながり」という言葉をよく目にしました。
家族の絆、地域や人とのつながり。それらを大切にしよう、見つめ直そうというメッセージがどのメディアからも発せられているように思えました。

都心の住宅地で、歩いて訪問先の場所を探して困っていた年配の男性のこと。
道を通るのは車ばかり。歩いている人は滅多になく、やっと人がいたと思い尋ねてみても、ビックリされて怪訝そうな顔を向けられたのだそう。

近くまで来ていると思うので、どこかの家のインターホンを押して聞いてみたい気もするけれど、家の中の様子を少しも伝えてくれないコンクリートの壁を向けている家が多く戸惑うばかり。
アパートの住人にはさすがに聞けない。そうこうしているうちに、他人の家の前でウロウロしている自分が、よそから見たら「怪しい人」に見られていないか心配になったと言います。
公衆電話も少なくなった今、携帯電話を持っていない男性は、相当困り果てている様子でした。

「都会はいろんな人がいるから防犯も兼ねて、道に壁を作る家が増えたんだろうね。だれにでも声をかけて気軽に尋ねることができた昔が懐かしいね」と話し、やっと見つかった訪問先に安堵していました。

男性が話すには、コンクリートの壁の家には声をかけづらく、運良く中から人が出てきたとしても果たして快く対応してくれるか不安に思えたのだそう。
その家に住む家族のプライバシーや安全を守るための壁も、外から見ればこんなふうに捉えられるのだなぁと思った出来事でした。

地域や人とのつながりなんて特に意識していなかったころ、こんなふうに思うことはなかったでしょう。

携帯電話やインターネットの普及で人のつながり方や生活行動が大きく変化した今だからこそ、意識せずとも家族がつながり、地域や人がつながる、見えるカタチ見えないカタチが増えることを望みたいと思う年明けでした。


※毎月第2週目の「週刊タイムス住宅新聞」に掲載されています。(2011.01.17 ka)

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