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「物をかう自分をかう」という言葉がある。
私たちは物を買うとき、いとも簡単に「物」を買っているのではないだろうか。
「物」の大きさや、その価格で「物」の価値を判断していることが多いような気がしてならないのである。

私は「物」を買うとき、もっと自分と物との真剣なたたかいがあると思う。
そうでないと何時までたっても、自分の目をひらくことができないし「新しいもの」に出会うこともないからである。

「新しさ」に心をひかれないと、この世の進歩は遅れるであろうし、また、昔を大事にしてくれる人がいないと、間違った変化に走りやすい。新しさが永遠の新鮮さを意味してほしいとなると、流行の如きはたよりない新しさであろう。まもなく古くなる運命にあるからである。

私が親泊氏(美里工業高校教諭)と二人で、沖縄の民家を訪ねて島々を歩き廻って、もう8年になる。
その記録をたどってみると私はいつも島で新しいものに出会い、新しい自分に出会ってきた。私達が島の民家を訪ねるのは、何も好きこのんで、古いものを探し求めているのではない。回顧趣味でもなければ、ノスタルジア的な自慰行為でもない。それは又、いまはやりの「学術的」な民家調査でもなければ民家研究でもない。それとは次元を異にした、もっと素朴なものである。

沖縄の民家はただ古いのではない。その造形される内面に最も新しいものを秘めている。それは、私たち祖先の心の表現だからである。時間的推移を越えた「真の美しさ」がある。それは又、未来へと永遠につヾく美しさであり新しさ、がある。私はそれに出会った時、「キーブル、ダチャー」してくるような感動をおぼえる。

柳宗悦(思想家、宗教哲学者)は「宗教随想」の中で「新しさについて」次のように記している。

 「若い人が、新しいものに魅力を感じるのは、それだけ立場に自由があるのだとも云えるが、
  しかし『新しさ』を概念にして、それに縛られる不自由に落ちてはいけない。

  真の新しさは、いつも新鮮なものという義であるから、時間的に新しいのでは根が浅い。
  時間に拘わりなく新しいものでなければならない。
  その『今の哲学や宗教のほうでは永遠の今』と呼ぶ。

  昨日の今、明日の今ではない、現下の今である。仏教では「即今」という。
  この即今は、時間的推移を越える今のことである。
  そういう今がもっとも新しい今のことである。それゆえ強いていえば、真の今は時間の横断面になく、
  継断面にあるとも云える。

  やさしく言えば『時間に流されない今』なのである。
  あるいは『時間の上にいない今』と言い、如何に流行の如きものと異なるであろう。
  流行の新しさは上べのことに過ぬ、だから時間などにまどわされぬ仕事のほうが新鮮さがある。
  新しさにも古さにも滞らぬものが、本当に新しいのである」

私は沖縄の古い民家建築や伝統的工芸にその「真の新しさ」を感じるのである。

織物は糸を一本づつ織り込むような指先だけの仕事ではない、織子の心が糸の一本一本に織りこまれているから美しいのであり、いつの時代でも新しさがある。
それは民家建築でも同じことが云えると思う。

二ヶ月程まえのことである。渡名喜島に渡るため泊港から小さな船にのった。
船上での時間は退屈なので、私はすぐ人に話しかける。60才くらいのオヂサンだった。

 「オヂサン!
  渡名喜島はいいところでしょうね!」 とたずねると、
 「何もないよ!」と云うのである。

何にもないと云うことは、あたりまえの日常生活をしているからなにもないのである。
あたりまえのことが、あたりまえでない世の中なのだから、その反対のことを考えればよい。

私の予感はまちがいなかった。島の人達は、島をとりまく大自然を讃美し、
自然にけっしてさからわない島の人たちの心は、今まで私が出会ったことのない沖縄の民家をみせてくれた。

何にもないという人達が今も「真の新しさ」を創りだす大きな力を心の奥深く秘めているのである。

私たちはどうだろう、製図版に向かって線をひき、夜になると「食用チンナン」のように前島あたりを二時、三時までのみあるき、自論をならべて満足し、できあがる建築は流行という時間に流されまもなく古くなる運命の建築を設計しているのではないか…。

こんなことを書きながら理屈をならべて又、泡盛を一杯かたむける。随筆の意味さえ知らない自分がよくまあ書けるものだと自分で感心する。これは随筆ではなく酔筆というそうだ。また、どこかで「文筆建築家」はクタバレと泡盛のツマミにでもなれば幸いである。

今年こそは「真の新しい建築」を生みだす初夢でもみたいと願っているのだが…。

 

著:金城信吉 「沖縄・原空間との対話」(1983年 発行:(有)門設計研究所)より

※建物のデータなどは掲載当時のものをそのまま掲載しています。

 
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