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第2回 ガジュマル建築論 第2回 ガジュマル建築論
 夏は木陰の季節である。

 だが那覇では木陰はもう見かけなくなった。大きなガジュマルの木の下にムシロを持ち出してきて、よもやま話に花をさかせる光景も見られなくなった。木という木は切りたおされて、ブロック塀にかわった。それが時代の趨勢であろうが、われわれはそこに何か大事なものを失いつつあるような気がする。

 日々の生活に追われ、周囲の変化にもつい慣れっこになってしまった我々が、近くの離島にでも出かけて行って、まず驚くのは、那覇の変わりようである。いや、島も変わったですよ、と嘆く人もあるが、そこには我々がすでに失ってしまった何ものかがまだまだ息づいているのである。
第2回 ガジュマル建築論
第2回 ガジュマル建築論
与那国にて 撮影:金城信吉氏
 ここにかかげてある写真などもその一つである。我々が那覇で見かけなくなった木陰である。金城信吉氏と与那国に遊んだおりに見つけたものである。木陰と涼み台の組み合わせ、ガジュマルの作りなす豊かな陰、竹の移動式の涼み台、これを何につけ加える必要があろうか。ガジュマル建築とでも名づけたいところである。
 「ガジュマルの屋根、仕切のない壁、太陽の移動にあわせて自由に動く床、これこそ沖縄の求めている現代建築だ」と金城氏がこのガジュマル建築にぞっこんほれ込んでシャッターを切ったのはいうまでもない。民家調査などと称して与那国くんだりまでやって来た我々2人が見つけたのは、民家ではなくガジュマルの再発見であった。

 南のはての木陰に我々2人が期せずして感動したというのも、それが我々のウチナーンチュ的な心の琴線に触れたからにほかならないだろう。そこに何とも言えないなつかしさとくつろぎを感じたということは、大ゲサに言えば、そこに沖縄の建築の本質をときあかす何ものかが隠されているからではなかろうか。
第2回 ガジュマル建築論  思えば、ガジュマルの木ほど我々に親しまれた木はなかった。石にかじりついたその独特な根といい、曲がりくねったそのひげ(気根)といい、それはまことに沖縄のイメージそのものである。台風に耐えるガジュマル、炎暑をはねかえすガジュマル−それはまた数奇な歴史をたどって来たウチナーンチュ自身の姿でもあるわけだ。

 横方向に陰をつくりながら広がってゆく、この自然のカンティレバーに、誰しも人間的スケールの空間を感ずるはずである。太陽光線の強い沖縄には、極端に言えば、光と影しかない。ガジュマルはこのような沖縄の強い光線と炎暑とをはねかえして、その見事な枝ぶりのもとに濃い影を作ってきた。我々はその濃い影のつくりなすヒンヤリとした空間のもとで、炎暑をしのぎコミュニティーを楽しんできた。このヒンヤリティー(勿論そんな英語はないが)のよって来るところは一体なんであろうか。
 大きな木陰、森の中、深く入り込んだ岩かげ、あるいは鍾乳洞など我々が常日ごろ涼しいと感ずるこれらの場所に共通するのは適度の暗さである(大村重信「暑さを防ぐには」沖縄タイムス1967.6.13)。

 我々はかかるヒンヤリとした空間の例を宮良殿内やその他の旧家、民家に見ることができる。家のまわりに雨端(アマハジ)をめぐらし、適度の暗さ(日かげ)を作ることによって地面からの輻射を防いでいるのである。

 室内を暗くすることによってヒンヤリティーを確保している典型的な例を、我々は中近東に見ることができる。彼らの伝統的な住まいは、例の日乾レンガの厚い壁に囲まれた土の家である。その土の家の最大の特徴は窓が極端に小さいということである。窓を大きく開けるということは、熱風を招き入れるようなもので、ふく射熱を防ぐには窓を小さくするということが絶対的な条件となるのである。彼等はその小さな窓から夜の冷気を室内に入れ、昼間は窓を閉め切って、冷気を貯蔵して天然の冷房に供しているのである。

 それは台湾の民家についても言えることで、窓が少なく室内が暗いのも、同様な配慮から出たものであろう。それはアリゾナの砂漠に自分の工房を造ったフランク・ロイド・ライトの場合にもあてはまることである。彼が深い庇の下に、連続窓を設けて柔らかい反射光線を室内に導入したのもその表れであろう。

 窓の機能は、ある意味で、我々の目の機能とよく似ている。うす暗い所で、瞳孔が大きく開くように、日光の乏しい所、例えば北欧などではできるだけ窓を大きく開けるのである。ゴシック建築が北欧の地で長く行われたのも、このような地理的条件に大きく作用されているのである。それは近代建築の全面総ガラス張りがドイツ(緯度は樺太と同じ)のグロピウスあたりから始まったこととも不思議に符合するのである。

 まぶしい所に出たとき自然と瞳孔が閉じるように、太陽光線の強いところでは原則的に窓は小さくなる。そのことは先の中近東の例で見たとおりである。一般的に窓の大きさはその土地の緯度に正比例する。

 さて沖縄であるが、上の原則論からも明らかなように、太陽光線への対策が必要なことは、今さら喋々するまでもなく、いろいろな試みがなされてきた。そのような試みのなかで、琉銀本店1階の光の取り方や、那覇市公会堂(那覇市民会館)のダイナミックな庇の取り方に興味を覚えるものである。それが成功しているか否かは、デザイナー自身と当事者の知るところであろうが、第三者としてその新しい試みに注目したいのである。

 このような沖縄の風土に対する創意工夫の積み重ねが、ひいては沖縄独特のヒンヤリティー建築の創造となるのである。かつて、我々の祖先がその風土から芭蕉布をあみ出したように、沖縄の風土が生んだ建築の出現である。建築はしょせん風土の産物でしかない。そして、沖縄の建築家が、本土の建築家に勝てるのは、その風土に立脚した建築を創造した時のみではないか。東京直輸入の建築を建てて間に合ったのは、沖縄の特殊事情のもとにあってはじめて可能であった。復帰すれば、中央の建築家が乗り込んでくるはずである。

 二重の意味で、沖縄の建築家は新しい建築の創造を迫られているのである。

(沖縄建築士会会誌「沖縄建築士」1971年8月発行より)

全文:親泊元高著「念念録」(1979年9月発行)より
ガジュマル(クワ科)
 
 方言名は各島ともガジマルが普通ですが、石垣ではガザムネー、西表ではガチパナキといいます。

 インド、マレー、大洋州、ニューカレドニア、フィリピン、台湾、琉球列島に分布する常緑の熱帯大高木で、低地の地上、岩上、岩壁面等いたるところにさまざまな形で生えます。

 幹は一般に短く、肌はこぶやみみずばれのような縦筋だらけの筋肉隆々たる形状になることが多く、枝を長く横広がりに広げて無数の気根をたれ、地面に達すると生長して柱のようになり、しまいにはどれが幹やら根やらわからなくなって1本の木で森のようになることもあります。

 岩上、岩壁、大木の折れの傷痕(鳥の糞による)等の生えるものは網の目のように根を張って岩や樹幹を包み、宿主の大木を枯らすこともあります。

 大きな傘を広げた樹冠をつくるので、公園・広場・学校などの日陰木に最適。台風、潮風、干ばつに強く、弾力性もあって枝折れせず、さし木で生えやすいので街路樹、防風防潮林・水源かん養林等によく植えられ、育て方によっては風雅な盆栽にもなります。

 材はひねりまがりしないので琉球漆器によく用いられます。

 老大木になると、生えている場所によってはその特異な形状が神秘・奇怪に見えるところから、昔は木の精霊が宿るものとして航路を置いて神木霊木にしたり、あるいはキジムナー(妖怪変化)が住むものとして怖がられもしました。学校では児童の木登りやブランコをつけるのに最もよい木です。

 
 
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